19.may Wed
今日でミネソタとお別れ。カートの車で早朝に空港に出てチェックイン。アート・リンゼイを聴きながらメキシカン・レストランでタコスで朝食。ロスまで4時間だ。時差は2時間。飛行機は時間よりも10分早く飛び立った。機内はいかにもロス行きのお客らしい連中が沢山居る。ビジネスクラスのシートには全身タトゥ−入りでモヒカンのパンクスが、ブロンドの女と寝そべっている。
ロスの上空の入ると密集した街並みが目に映った。降り立つとそこには不思議なほど違和感の無い街が待っていた。ニホン人も凄く多い。東京と全く変わらないフィーリングだ。ビバリー・ヒルトンまでタクシーに乗った。何度運転手に言っても通じないので、発音のせいかと思ったけれど、『どこの? どこの?』と何度も聞かれた。このホテルはアカデミー賞の授賞式も行われる由緒あるホテルだ。
到着してから、ロス在住の某大企業支社長のIさんのナビでぐるぐるドライブ。まずはチャイナタウンで飲茶。これが凄く美味しかった。横浜の中華街でもこんな美味しい飲茶は食べた事は無い。なんだこれは?しかも食べ放題で1000円。大感動。漢宮大酒楼というお店。ランチタイムを過ぎた2時頃の時間だったせいか、お客はほとんど中国人だった。
満腹に成った後は、日本村(ん?)を観光。ここのアメリカ在住ニホン人(?)って絶対へんだ。並んでる店先を眺めると、『おみやげビデオ』とか、『神風ビデオ』とか、『奉仕店』とか、なんだか訳がわからない。そしてハリウッド名物の、アカデミー賞のTV中継で見る会場となっているショッピングセンターや、映画俳優の足跡や手形のあるチャイナシアター前の広場などを観た。
その後、僕はTとその足で、ハ−ドロックカフェの創始者、アイザック・ティグレットが経営する有名なライブハウス、『ハウス・オブ・ブルース』へ。お洒落な店が並ぶストリート沿いにバラック小屋の様な建物があって、そこにワカモノが異様に群がっている。そこが彼のお店。ここはLAの業界人の溜まり場。今日のショウのチケットはソールドアウトだったので、店の前をうろついてゲット。Talking back sundayというメロコア系バンドで、warped tour 10 yearsというイベント。前座が終わって彼等が登場すると満杯のオーディエンスは超盛り上がった。もう、ベタのLAサウンド。
ふと、見るとステージ上段には、やはり、というべきか我が尊敬するバガヴァンのお姿がど〜んと飾ってある。その脇にはインドのアシュラムよろしく弁天様なんかが飛び交っている。LAは実はカウンターカルチャーの世界的メッカなんだよね。南国なハイソな吉祥寺という感じ。ハウス・オブ・ブルースの隣のお店は、やはり神秘主義のお店で、怪しげなムードをおもいっきりふりまいている。
で、客を眺めると、漢字タトゥ−の多いこと多いこと。。なんだかシール感覚だもんね。でも、俺的には凄く気にいった。そして車道には高級車が溢れかえっている。Iさんによると、月5万円でベンツをリースできるらしい。なんか皆、見栄を張ってでも良い車に乗る傾向があるそうな。。まるで世界の高級車ショウを見るような感じだもんね。
Iさんの迎えを待ってると、トーキング・バック・サンデイの黒人のギターリストが歩いて来たので、一緒に写真を撮って話しをした。『今度ニホンに行くんだ、よろしくな!』なんて言ってた。握手をして別れたところにIさんの車が登場。ホテルに帰ってすぐに寝た。
20.may Thu
朝はホテルでフルーツを食べて出かけた。僕とTは皆と別れてサンタモニカの海岸へ。最後は何もせずに、海岸でぼ〜っとしたかったのだ。しばらく海岸近くのショップをぶらぶらして眺めてCDを漁った。インディアン・ジュエリーがまた凄い。それから高級な石とか化石のお店も良かった。で、海岸に出ると、、、、、、、
すご〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!
こんな雰囲気の海は、僕は初めて。椰子の木が並ぶストリートの先には1Mのくらいの波の広い海岸がずっ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと続いている。ピンクのレモネードを買ってカエターノを聴きながら海岸で、ごろごろして日焼けした。波打ち際で泳いだりしつつ。風が強く、暑すぎることもなく気持ちいいー。
あぁぁぁぁぁぁぁぁ、天国。
私の日記を愛読されてる読者は御存じだろうけど、ワタクシ、ず〜〜っと海に餓えていたせいもあり、私の妄念がニホンの箱庭系の海を飛び越して、本当に南国な広い海に出会えて、心底幸せを感じております。
熱い太陽、海の風、椰子の木、水着のブロンドの可愛い子、雲ひとつない青空、どこまでも続く海岸線、音楽、トロピカルジュース、、。もう全てが私の理想通り、妄想通り。あぁぁぁ、このままここに根を生やしたいよ〜〜〜〜。
泳いでも、空気が乾燥していて、肌はすぐにさらさらになる。
ひとりで寝転がって日焼けしてた水着姿の女の子に声をかけて、一緒に記念撮影!
『どこから来たの?』
『インディアナからよ! なぜ、私を?』と僕の目を見つめる彼女。
『それは君って、最高に綺麗だからさ!』
などと言ったら、にこっ!とはにかんで微笑んでくれた。
ありがとにゃん。時間があれば遊びに連れて行きたかったよー。また地球のどこかで逢おうにゃ。今度はぜひ一緒に遊びましょ。
CDを若干仕入れてホテルに戻り、それからLAエンジェルスとNYヤンキース戦を観戦。遅れて4回表の到着して席に着いたところに、ゴジラ登場。1アウト1塁で7番打者で打席に着いたと思ったら、いきなり初球をセンターの深いところにブチ込んでホームラン。思わず立ちあがってガッツ・ポーズをして吠えたねー。あんたは偉い。あぁ、びっくりした。
そうこうしてたら、横に夕刊フジの松井担当の記者の人が座り、前の席のニホンの爺さんに取材をしている。なんでも高校時代のホームステイ先のおやじさんらしい。『高校時代も彼は奢らない純朴な性格だった』と語っておられる。記者の人がした写真撮影の中に思わずピザを頬張るサロドラが写っています。これでこのひと月の間に新聞に出たのは、日米合わせて4回目。。これはさすがに予想外だったけど。
しかし、イチローもゴジラも観れるとは思わなかったよなぁ。イチローがソニーなら、ゴジラはなんだかパナソみたいな男だわい。
今日もホテルに戻って速効寝た。
21.may Fri
朝から空港へ移動。タクシーの運ちゃんはアルメニア人だ。タクシー業界は移民系が多いらしい。彼はフランスにも住んでたらしい。ラテンな性格の陽気な男だ。空港にチェック・インしてから時間があるので、持ってるドルを全て使い尽くした。あぁ、買った買った。こんなに買って、いったいどうすんだい?飛行機は時間通りに離陸。今日も天気がいい。機内でLAサウンドを聴きながらワインを2本飲んだ。これで一月のアメリカ生活も終わりかぁ。。
***
そもそもはヨーロッパ嗜好で、反アメリカ傾向の俺な筈だけど、、なんか深く理解できたよ、彼等の良心を。基本的に田舎の人も、都会の人も親切でフランク。知らない者同士で、ここまで自然かつフランクに会話が弾むのは少なくともニホンでは考えられない。
人間関係の距離感が根本的にニホンとは違うのは、やはり根底には個々のバックグラウンドが徹底して違うからだ。だからこそ、今こうしてアメリカに一緒に居る、という価値観が深く特別な意味を持つ。各所で歌ったアメリカ国歌に、アメリカ国民でもなんでもない僕自身が意外なほどの感動を覚えたのは、まさにそこだった。
人はそれぞれ違うけれど、だけどまぁ、人間は最後は同じなのさ、、、とそのフィーリングは語っていた。
プロテスタントのエキュメニカル運動に勤しんでいた、あの親切で暖かいジャネット。
ブルースのCDを抱えてたら、おまえ古いのが好きだなぁ、と声をかけてきたラップ好きのおっさん。
ハ−イ!と気軽に微笑んでくれたブロンドの女の子。
原爆の話しをまじめ聴いてくれた元経済学者と、インドからの養子の女の子を2人も成人まで立派に育てあげたドグ。
世界はさ、文化や宗教が違ってもひとつだよ、とワインを飲みながら語ってくれた医師のアンディ。
オルゴール集めとドローイングが趣味のドゥ−ビー好きの劇伴指揮者のジム。片耳がよく聴こえず、でも音楽を愛しヴォーカリストをしていた彼のワイフのジニ−。
これが生で触れた僕のアメリカだ。別れが悲しい、と自分には稀なほど感じた人達だった。
思えば、僕の内面の反ニホン、ヨーロッパ嗜好、ラディカリズムとはよく考えてみると、他でもない、ポリティカルな意味をスルーした平均的なアメリカ人の内面そのものだった。
米ドル紙幣にはこうある。
In god we trust...
そしてカウンターカルチャーの世界的なメッカ、House of bluesのステージ上方の高みにはスポットに照らされた我が最愛の人、バガヴァンの言葉が浮き上がっている。
Unity in diversity .
All is one.
〜多様性の中の一体感、全てはひとつである〜
‥これが僕の心が体験したアメリカだ。
あの強くて、ぼろぼろに成りながらも世界の全てを呑み込んで成長するアメリカだ。
そこには確かに偽りなく『愛』と呼べるsomething elseがあった。
乾燥した空気と瞬く太陽の光りの中で、それは優しく煌めくように輝いていた…。
みんな、また、逢おう!
☆extra photo
到着後7日目から手に浮き上がったETみたいな斑紋(?)謎。。帰国直後に消えた。思わず一行は日テレの矢追純一UFOシリーズを連想した。
☆さらに番外編1
☆さらに番外編2